家族への愛=自分を満たすこと
こんばんは。
子育て中のママさん、主夫さん、毎日の家事、育児に疲れていませんか?
今日は家族生活の中の「愛を注ぐ」ということについて書いてみます。
愛とは・・・
デジタル大辞泉の解説
あい【愛】1 親子・兄弟などがいつくしみ合う気持ち。また、生あるものをかわいがり大事にする気持ち。「愛を注ぐ」
2 異性をいとしいと思う心。男女間の、相手を慕う情。恋。「愛が芽生える」
3 ある物事を好み、大切に思う気持ち。「芸術に対する愛」
4 個人的な感情を超越した、幸せを願う深く温かい心。「人類への愛」
5 キリスト教で、神が人類をいつくしみ、幸福を与えること。また、他者を自分と同じようにいつくしむこと。→アガペー
6 仏教で、主として貪愛(とんあい)のこと。自我の欲望に根ざし解脱(げだつ)を妨げるもの。
愛について、多くの意味がありますが、今回は1や2を中心に考えていくことにします。
あなたは誰に愛を注いでいますか?
彼?彼女?親?兄弟?夫?子ども?ペット?好きなタレント?
彼氏、彼女への愛って比較的見えやすいです。だって、好きだから付き合ってるんだもんね。
しかし、恋人関係から家族関係になったとたん、私の感覚として
「愛を注いでるのは誰?って言われてもそんな意識ほとんどないのです」*1
きっと、この中の選択肢でいうと夫とか、子どもとかが一番近いのでしょうが、
英語のように、明確に「 I LOVE YOU」なんていう訳ないし、愛情ってなかなか見えにくい。(実はこれが曲者。)
よーく考えると、もちろん私にとって愛を注ぐ対象は大切な家族。(うんうん。)
その大切な家族のために、栄養バランスを考えた食事を作るし、夫が仕事に集中できるように家事は私。子ども達とも「ぎゅー」って言いながら思いっきりハグをするし、子どもの未来についてだって本気で考えます。٩( ''ω'' )و
そう、以上のことは、家族としていたって普通のことなんです。
いちいち「愛情たっぷり注いでいるからね~」なんて言いません。2回目ですが、これが曲者なんです!!
なぜなら、家族をいたわり、愛を注ぐのは普通だからこそ、自分が我慢している=限界になっていることに気づきにくいからです。
私は愛には2つの注ぎ方があると思っています。
①自然にあふれ出す愛・・・自分が満たされている状態
②絞り出す愛・・・自分に無理をしている状態
①自然にあふれ出す愛
自分が満たされているとき、人への接し方はまろやかになります。特に家族とのコミュニケーションは円滑になることが多いように思います。
例えば、ご飯を作るときでも家族の好物を中心に献立を考えてみたり、誕生日にどんなサプライズをしようかを想像してウキウキする。
そう、相手の喜ぶ顔が想像できているのです。この時の意識の中心は相手。
②絞り出す愛
一方、自分に無理をしているときは、言動にどこかトゲトゲしさが出てきます。家族との意思疎通がうまくいかないこともありました。
私の場合、上記と同じご飯を作るにしてもいつまでもやる気が起きません。面倒で仕方がなくなり、自分の最小限の労力でできる献立にしてしまってます。(ノД`)・゜・。
そう、この時の意識の向きは相手よりも自分です。
人間は見返りを求める生き物。相手の反応が薄く、自分に無理して相手への愛を注いでいるから、「自分がこれだけやっているのに・・・」
ってなりがちです。(私、よくあります。|д゚)
つまり、何が言いたいかというと
愛を注ぐためには、まず自分を満たしましょう
ということです。
自分に無理をして家族への愛を注いでも、いつか限界が来てしまう。家族を支えるママやパパが満たされてなければ、家族全体に悪い気が充満してしまいます。
自分が満たされていれば、相手にも寛容になれるし、自然と相手の喜ぶ顔を想像して行動できます。
そのために、私が気をつけていること。
〇家事は100点を目指さない。
→疲れすぎたら絞り出す愛になります。私は80点でいいと決めています。
〇自分の体調や心の声に敏感になる。
→心の声は今日のいいこと、悪いことを自分に問いかけ先に出てきたほうで心の傾き
(プラス思考かそうでないか)をみています。
〇自分を満たす方法を複数もつ。
→私はアロマ、1人お風呂、読書、ろうそくの火、マッサージ、美容室など
〇相手の反応に期待しない。
→正直なところ、気になります。でも家族に感謝されるのって、病気になったとき か、卒業式での手紙くらい。('Д')だから、依存はしません。
〇自分を優先する機会を設ける。
→いつでも自分が後回しでは、ストレスがたまる一方です。
家族生活の中の当たり前の行動には必ず愛がある。
そういう私も家族の愛に支えられていることを忘れずにいようと思います。
*1:+_+